東京五輪を終えて|8月8日記載

私のオリンピックが終わりました.新型コロナウイルス感染症が収束していない中,このようにオリンピックを開催していただけたことに感謝します.選手は勝っても負けても,これまで積み重ねてきたことを表現する場があって本当によかったと思います.人生で一番輝ける場でしたので.さて,私自身は,評価される側の人間なので,ここで評価をすることはありません.評論家でもないので.先に,空手道に関して,このような結果になり本当に申し訳ありませんでした.意思決定に関わる部分では,まったく力が及びませんでした.問題と原因ははっきりしています.くだらない大人の問題です.そこを変えることができませんでした.「オリンピックは難しい」を伝えることが一番難しかったです.選手からも,いろいろと相談を受けましたが,変えることができなかったことを悔います.2018年の世界空手道選手権大会が終わった後,現地で検証を行いました.その際に,「私(柔道)から学びたいと言われて強化に入りましたが,全く話を聞いてもらえません.私は柔道にすべてをかけていますが,空手道のためにと思い,時間をかけていろいろと話をしてきました.必要ないのであれば私をきってください」と言いました.あの時,本気で受け止めてくれたのは佐久本先生だけだったかもしれません.さきほど,佐久本先生がそのことを覚えていて話をしてくれました.佐久本先生と今井先生には,いつも「石井先生の意見を聞きたい」と言われて,少しでも貢献できるように「蟻一匹も通さない」準備を考えてきました.これは,学びの多い経験になりました.ただ,選手を誰よりも輝かせたかったのに,それが形にできず本当に申し訳ありませんでした.批判があれば,選手ではなく私に向けてもらえればと思います.柔道では,科学研究部として2005年から関わらせていただきました.本当に苦しかったです.あまりの理不尽さに心がボロボロになったこともありました.リオ五輪が終わって東京までサポートをすると決めたときに,東京五輪が終わったら,「柔道に生き,柔道に殺された日」という文章を書こうと決めていました.でも,それが書けなくなりましたね.素晴らしい選手,コーチ,スタッフの皆さんに感謝します.このチームに関われて,本当に嬉しく思います.斉藤先生から日本柔道に求められる責任は世界一という結果しかないと指導され,チームの成果を追求し続けました.この経験で私自身大きく成長できたと思います.大野選手は「この一日で報われたとは思ってない」と言いましたが,私は選手みなさんの活躍で報われました.多くのものを犠牲にしてきましたが,本当に報われました.29日の予選と決勝ラウンドの間,ウルフ選手が科学技術館にきてケアを受けました.ケア後,科学技術館を出て行くときに,何かを伝えたいと思い,「アロン」と呼んだものの,「大丈夫!」でもないし,「頑張れ!」でもないし,「信じてる!」でもないと瞬間的に感じ,何も言葉を出せずに片手で握り拳を作って,小さなガッツポーズをしました.最後の最後はこれしかできないんだなと思いました.ウルフ選手はそれに小さなガッツポーズで応えてくれました.今回,選手たちのパフォーマンスをみた時に,もうできることは何もないと感じました.最後は結局選手の積み重ねしかないんです.もう一つ.大会の途中で高藤選手が金メダルを持って科学技術館に挨拶にきてくれました.メダルです,と渡してくれました.これまで16年間恐れ多くて選手のメダルに触れることができませんでしたが,最後だと思い,持たせてもらいました.本当に本当に重かったです.この時に,私自身が心がけてきたことを形にできたと思いました.私と高藤選手は所属が違います.私のチームには永山選手もいます.でも,全日本ではプロフェッショナルとして,所属の色を出さずに公平にサポートしてきました.どの所属でも全力でサポートしてきました.それが形として表れたので本当によかったと感じました.随分,長くなりましたが,最後です.リオ五輪を終えた時に,科学研究部を辞めることを皆で決めていました.帰国後,監督から東京までサポートしてほしいと言われて,科学研究部の仲間たちに話をしたとき,「先輩がやるというならやります.全日本のためじゃなくて,先輩のミコシ担ぐためにやりますよ」と言ってくれました.それがなければ,ここまでできませんでした.最後の最後まで本当に支えてもらいました.リオでシュラスコ食べながら,泣きながら一緒に歌った仲間たちに感謝します.ありがとう.柔道も空手道も強化はこの後解散になります.この解散で,私は科学研究部を卒業します.柔道は16年間,空手道は4年間,たくさんの方にご指導・ご鞭撻をいただきました.本当にありがとうございました.1964を取り返すと気張ってやってきました.最重量級と団体戦を落とし,何かを残した感覚がありましたが,空手道で喜友名選手が大切なことを表現してくれました.人に見られていないところでも,佐久本先生が日本が負けてるのに歯なんか見せるなよと金メダルを取った喜友名選手に指導されていて,1964を取り返せたのかなと思いました.残したものは次世代に託します.今後はまた違う機会に.

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