「柔道を再考する」では書ききれなかったことを。
変な話(私の柔道の解釈)の方です(笑)
昔…増田俊也さんだったか中井祐樹さんだったか…
武道とは?スポーツとは?という感じで議論があったような記憶があります。
その点に関する私の考えも少し。
柔道は海に似ている。
海は目的地への行き方を考えさせてくれる。
そして考え方を育ててくれる。と。
しかしながら、
海が「こうやるんだよ。ああやるんだよ」とか
何かを教えてくれるわけではありません。
やはり、教えてくれるのは人なのです。
ある人は「泳ぎ方」を。
ある人は「船の作り方」を。
またある人は「地図の読み方とコンパスの使い方」を。
そして、海に出て目的地へ行くことに挑戦することで、
人は成長すると思います。
この何かを教えてくれる人が教育者でありコーチであり。
海に出て失敗すると一緒に考えてくれて、
自分の足らなかったことを改めます。
こういう点からも
「柔道は海に似ている」と感じるわけです。
柔道そのものは何かを教えてくれるわけではありません。
ですので、柔道をやっている人が全て成長して
「良い人」になるとは限らないわけです。
ただ、海に飛び込んだ、というだけで、
何かを教えてくれる「人」が必要です。
では、
何も知らずに海に飛び込んだら。。。
それは
「死」を意味します。
無知は「死」を意味するのです。
この点も柔道はよく似ています。
「受け身」の仕方
「参った」の仕方
を知らなければ
腕を挫かれ
首を絞められ
畳に叩きつけられ
死につながるかもしれません。
それは、何も知らずに海に飛び込むことと同じなのです。
だからこそ
学びに真摯に向き合わなければなりませんし
真剣に考えて実践することを続けなければなりません。
この点は他のスポーツとは異なるかもしれません。
「柔道」=「危険」という話が膨れ上がり、
脳震盪・頭部外傷の問題から、すべてのリスクをなくそうと動いています。
競技スポーツという形に「はめ込め」ばしょうがないことかもしれません。
学校管理下という形に「はめ込め」ばしょうがないことかもしれません。
しかしながら、
柔道は
目的地に向かう過程で「死(リスク)」というものと向き合うから
考えることをやめさせないし
考え方を育てると思います。
「無知」=「死」です。
だから、学ぶんだと思います。
もし、目的地にたどり着けなかったとしても
真摯に取り組めば、何かを得ているのではないでしょうか。
柔道は
「スポーツ」なのか
「武道」なのか
私にとっては愚問で
柔道は
ただ広くて
ただ深い
そして形のないもの
(自然のように変化するもの)
だと思ってます。
誰かが考える「スポーツ」という形に「はめ込もう」としているのでは…
誰かが考える「武道」という形に「はめ込もう」としているのでは…
誰かが考える「安全な学び」という形に「はめ込もう」としているのでは…
と。
柔道は海に似ている…
いや
柔道は海である
と表現してもよいかもしれませんね。
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