柔道を再考する(一)

2016年1月28日-30日
国際柔道連盟主催の審判・コーチセミナー 2016に参加しました.

よかったことと悲しかったことを.

嘉納師範が日本伝講道館柔道を1882年に創設し,
それが「JUDO」として世界に普及し,
「講道館」という場で,
海外の方が講師となってセミナーが行われた,
まさに,「普及」,「国際化」の成果だと思います.

また,そこには
「宗教」や「文化」は関係なく,
「JUDO(競技)をよりよくしよう」
「アスリートのことを考えよう」
という気持ちで建設的に議論が行われました.
様々な国際問題の解決に必要な「対話」の形があったと思います.
嘉納師範もさぞかしお喜びではないかと.

ここからは,悲しかったこと.
建設的な意見も含まれますので,
「この若造が!」と叩かれることもあるかと思いますが,
私がおじいちゃんになった時に,
私という形に柔道を「はめ込まない」ように,
記録として残します.

本セミナーの最終日に
講道館の特別講習が行われました.
その中で,
「ベアハグは柔道ではない!」
(ベアハグというのは,技を施す側が柔道衣を握っていない状態から
 両腕で相手の体幹部を抱えるようにして相手を倒そうとすること.
 上半身へのタックルのようなもの.)
とか
「両膝をつく背負投は指導(罰則)にすべき!」
とか

とか

………

とか

日本伝講道館柔道を発信する講道館から
オフィシャルな場で
このような説明がありました.
とても悲しい気持ちになりました.

私は,
柔道はそんなに小さなものではないと思いますし,
日本という形に「はめ込む」ものでもありませんし,
個人の形に「はめ込む」ことなんかはあってはならないことだと思ってます.
自分自身の形はあっても,柔道をそこに「はめ込まない」でください,
という感じです.

ベアハグは柔道です.
双手刈も柔道です.
当身技も柔道です.

嘉納師範だったら
「あのベアハグには既存の技術のどれどれで
 対応できそうだな」
とか
「あのベアハグには,新しい技術が必要そうだ」
とか
新しく出てきた課題を解決するために策を考えたと思います.
それはルールの改正という方法ではなく,です.

この課題を解決するために策を考えること,が
柔道です.

両膝つきの背負投にしても,
両膝をついて施す背負投で相手がケガをすることが増えてきた.
では,
「どうしたらケガを減らせるのか…」
「受け身の指導方法には問題ないのか!?」
と考えて,この傷害発生の課題を解決するための策を考えたでしょう.
それはルールの改正という方法ではなく,です.

この傷害発生の課題を解決するための策を考えること,が
柔道です.

ここからは変な話(私の柔道の解釈)です.
私は,
「柔道は海に似ている」
と思っています.

私は,
海を見て
「広い」と思います.
「どれくらい広い?」と聞かれると,

「ただ広い」と.

私は,
海に入ってみて
「深い」と思います.
「どのくらい深い?」と聞かれると,

「ただ深い」と.

柔道もよく似ています.

海の先に目的地があります.
私は,九州出身ですので,
この海(関門海峡)の向こうの本州に行きたいと思うと,
海をどのように移動するかを考えます.
例えば,関門橋を渡るかフェリーで移動するか.

また,考えます.
この海を渡るとスペインにも行けるかもしれないし,
南アフリカにも行けるかもしれないと.
海を渡れば行けるのです.
目的地は人それぞれで,決まってません.
でも,この海を渡れば行けるのです.

そして,考えます.
スペインに行くためには,何が必要で,
最短ルートはどうだろう,と.
そして,また考えます.
どうも最短ルートは,非常に危険そうで,
ここは迂回していこう,と.

こうやって,目的地へ行く
「最善」な方法
「最適」な方法
を考えるわけです.

目的地に行く方法に答えはありませんし,
航路も何が一番かは決まっていません.
自然は変化しますしね.

このように答えはないのですが,
海は目的地への行き方を考えさせてくれます.
その考え方を育ててくれます.
柔道もよく似ています.
目的地への行き方,そして生き方を考えさせてくれます.
時代の変化を考え,目的地へ行く方法を考えます.

私は,
「柔道は海に似ている」
と思っていて,
上記したような解釈をしています.

先ほど,

「ただ広く」

「ただ深い」

と表現したのにも意味があります.

「海の大きさは?」

「海の深さは?」

と聞かれて,
数値できちんと表現したとします.
今なら調べれば出てきますし…
しかし,海を数値で表してもあまり意味をなしません.
数値を暗記したところで,といった感じです.

海は,
ただ広く
ただ深い.

これは,数値という形に「はめ込む」な,ということです.
考え方(目的地への行き方)は自由です.
海(柔道)は移動の過程にあるツール(一部)かもしれません.
そうだとしても
自分といったちっさな形にはめ込むこともないし,
日本といった形にはめ込む必要もないということです.

柔道は,
ただ広くて
ただ深い,
ものであってほしいと思いますし,
それが柔道だと思ってます.

うっす.

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