データの解釈

facebookから転載

母校の筑波大学大学院で講義をさせていただけて、光栄でした。
院生からの質問で、帰り道ず〜っと考えていました。
院生からの質問は
「データを読む側で解釈が違う場合はどうするのか。
 例えばコーチと自分自身の解釈と違う場合はどのように対応するのか。」
といったものでした。
この質問を受けて、その場では、
「データを出す→すり合わせる→データをまとめ直す→すり合わせるを繰り返していくことが重要です」といったような回答をしました。
が、帰り道に考えてみると、現場において
「解釈が違うということがほとんどない」ことに気づきます。
現場において情報(データ)は、
どちらかというと客観と主観のギャップを確認し
そのギャップがなぜ生まれるのかを考えることに用いています。
説明が難しいですが、その考えていく中で、
客観の方が優位であれば、
自身の主観を成長させる必要がありますし、
主観の方が優位であれば(一致という表現か?)、
情報をインテリジェンスに変えられるようにします。
もう少し説明すると、
優れたコーチは、(過去における)主観と客観が一致します。
(例えば、コーチが感覚的に「こうだったよね」というものが
 実際にデータをまとめてみると一致している状態)
そのようなコーチは、予測と将来の結果が一致するかを常に考えているような気がします。
その予測力とでもいうのでしょうか、
見えないものを見る力とでもいうのでしょうか、
この人すごいな〜と思わせるコーチは、
組織としてのプランニングやトレーニングプログラムのデザインが
結果的にですが、素晴らしいなと感じさせられます。
まさにアートだな、と。(これは柔道に限った話ではないです。)
ですので、(戻りますが)
データを解釈するというよりは、
そのまま受け止めてみるということが重要だと思います。
院生が言っていることも、よくわかります。
たぶん、研究において指導教官とデータの解釈が
全然違うというところに陥っているのだと思います。
「経験もしていない先生にはわかんないんだよ。」という
 俺の解釈の方が合っている状態。
でも、私も指導教官からいつも指摘されて気がつきますが、
そのデータは両方の解釈ができてしまう状態のデータであって、
それだけでは自身の解釈が説明できないものだということです。
もし、自身の解釈を強靭なものにしたいのであれば、
さらなるデータや情報が必要になるでしょう。
ですので、一番は、そのデータをそのまま受け止めてみる、
が一番安全ですかね。
というのが、帰り道に考えたことです。うっす。

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